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上尾市内の大山灯籠行事(登録)  

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年11月24日更新 ページID:0004745

大山講と大山灯籠

 大山講とは、神奈川県伊勢原市の大山阿夫利神社を信仰する集団のことであり、石尊講ともいわれます。これは、大山阿夫利神社が古くは大山石尊大権現といわれていたことに由来します。
 大山講は、いわゆる代参講であり、毎年、講でくじ引きなどを行って選ばれた者が、全講員の代理で参拝する代参を行うことを目的としています。講は、おおよそ近世の村の単位で組織され、村付き合いの一つとして大山講を含む代参講を行っている事例が多くありました。上尾市域のほとんどの村は、基本的に農村であることから、農業の神様として、大山阿夫利神社を信仰していました。これは大山阿夫利神社が、雨降山とも呼ばれ、農業に必要な水を差配する神とされるためで、作神様といわれてきました。一方で、「出世の神」という信仰もあり、男の子、特に長男が十五歳くらいになると、代参の人に連れて行ってもらうものとされていました。

大山講と代参

 代参の時期は、春か夏の山開きの時期に行うものでした。本来、大山阿夫利神社は、山開きといって7月27日から8月17日までの間に参拝するものでした。しかし、他の代参講も含め、春先の代参が多かったことから、明治20年代に4月15日から25日まで(後に4月5日から20日までに変更)を春山として、山開きが行われるようになりました。
 大山講は、代参の際、それぞれの講が大山の山麓にある先導師と呼ばれる家の世話になります。御師とも呼ばれる先導師は、それぞれの講との連絡、代参者の接待や宿泊、神社の参拝やお札の用意など、大山での代参者の一切の世話をするものでした。
 上尾市域の大山講では、明治初年に書かれた『開導記』(大山阿夫利神社蔵)によると、小川浅吉、山田仁作、沼野一路、丸山安治、逸見民衛、鈴野為太郎、水島長次郎の七人の先導師に、世話になっています。ただし、山田仁作については、明治22年11月11日に内海政雄に譲るとされています。

大山灯籠行事

 大山灯籠は、石尊様の灯籠、石尊灯籠、灯籠などとも呼ばれます。大山阿夫利神社の山開きの時期である7月26日から8月16日の間に立てるのが一般的です。
 大山灯籠の多くは木製の組立式で、本体は明かりを入れる火袋とこれを載せるための1本の竿で構成されます。また、この周囲には高さ2から3メートルほどの竹を4本立て、これに注連縄を張るのが一般的です。火袋も多くは木製ですが、西門前、藤波では金属製の火袋を使っています。また、畔吉と領家では、木製の組立式の灯籠でなく、常設の石灯籠を大山灯籠としています。
 大山灯籠を立てる場所は、道端に立てるという例が多かったようですが、現在は、神社や寺・堂、地区の集会施設に立てる例が多くなっています。
 灯籠を立てる日は、大山の山開きの初日である7月26日前後が一般的で、この日のことを灯籠立て、灯籠始めなどといいます。一方、灯籠を倒すのは8月16日が一般的で、灯籠倒し、灯籠返し、灯籠仕舞い、灯籠終わり、灯籠納めなどといいます。
 灯籠には、立てている期間、毎晩火を灯します。かつては、灯明皿に菜種油などを入れ、灯芯に火を灯したものでした。現在でも一部地域ではろうそくで灯すという地区もありますが、ほとんどの地区では電線を灯籠に通して、電球で明かりを灯しています。

映像記録はこちら(「あげお文化遺産ガイド」へ)

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