十連寺徳本行者六字名号供養塔
市指定有形民俗文化財
(ふりがな) じゅうれんじとくほんぎょうじゃろくじみょうごうくようとう
【文化財名】 十連寺徳本行者六字名号供養塔
【指定番号】 第86号
【種別】 民俗文化財・有形民俗文化財
【員数】 1基
【指定年月日】 平成24年3月22日
【所在地】 十連寺(上尾市大字今泉)
【概要】
徳本行者は、宝暦8(1758)年に紀州日高郡に生まれ、天明4(1784)年に出家し、近畿・関東・相模・信濃・飛騨・越中・越後・加賀および江戸等各地を巡って昼夜不断で念仏や苦行を行い、念仏聖として知られていました。文化11(1814)年、小石川に一行院が再興された際、中興開山となりました。一行院では、庶民に十念を授けるなど教化につとめましたが、特に大奥の女中衆で帰依する者が多かったようです。文政元(1818)年10月6日示寂、享年61歳でした。
徳本行者の平易な念仏信仰は広く受け入れられ、全国各地に講が結ばれました。そして、その筆跡の六字名号を刻んだ供養塔が造立されています。
施主は村単位の講中で、記された人数は周辺地域20宿村570人に達し、帰依する者が非常に多かったことがわかります。
紀年銘の文化14(1817)年11月は、『徳本行者全集』にみられる「文化十四年十一月十一日、十連寺本堂前に於いて名号石開眼」の記事と符合します。
上尾市内に徳本行者の供養塔は3基残っており、それぞれの地域の信仰の様相を知ることができる貴重な文化財といえます。
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上尾市史
第九巻別編2 金石・文化財(平成11年3月31日)