上尾の歴史
上尾の歴史について(概観)
原始・古代
上尾の歴史は市内にある250カ所以上の遺跡から約2万年前の旧石器時代(先土器時代)までさかのぼれます。畔吉の殿山遺跡からは、関東地方では珍しい「国府型(こうがた)」のナイフ形石器などが出土しています。
約1万2千年前に始まる縄文時代の遺跡からは土器や石器が発掘されています。また、貝塚などから当時の上尾周辺には海があったことも分かっています。古墳時代の遺跡からは鉄剣や鏡なども出土しています。
中世
平安時代末期になると武蔵国にも武士集団が結成され、鎌倉時代は上尾周辺も含め源頼朝に仕えた足立氏の勢力下にあり、鎌倉幕府滅亡後は足利尊氏の所領となります。このころから今も上尾市に残っている「菅谷村」などの地名が文献に登場してきます。また、中世特有の石造物として板碑が現存しており、約750基が確認されています。
近世
江戸時代に入ると、五街道が整備され、その内上尾は中山道にある69の宿場町の5番目の宿として、平方は荒川舟運の要衝としてまた、原市は市場町として、発展を遂げます。
近代・現代
明治16年、高崎線開通と同時に上尾駅が設置され中山道とともに市街地形成の基礎になりました。明治末期には近代工業の先駆けとして上尾町や平方町に製糸工場が建てられ、昭和になってからは機械・金物・食品工場も操業して工業都市としての下地が作られました。
江戸時代に上尾市域に45あった宿・村は、明治初期に40となりました。その後6区域の町村になり、昭和30年3回目の合併で新上尾町となり、昭和33年県内19番目の市となりました。
市制施行当時約3万7千人だった人口も加速度的に増加し、昭和45年には10万人を突破、平成30年には市制施行60周年を迎え、令和2年5月現在では22万9千人を数えるまでになりました。