上尾郷二賢堂跡
印刷用ページを表示する 掲載日:2010年11月24日更新 ページID:0144662
市指定史跡
ふりがな) あげおごうじけんどうあと
【文化財名】 上尾郷二賢堂跡
【指定番号】 第1号
【種別】 記念物・史跡
【員数】 3件
【指定年月日】 昭和34年1月1日
【所在地】 氷川鍬神社内(上尾市宮本町)
【概要】
二賢堂(じけんどう)は、天明8(1788)年江戸の僧雲室の提案によって上尾宿の山崎武平治(碩茂)が有志とともに開いた郷学ともいえる「聚正義塾」の学舎の名前です。近隣から多くの人々が集まり、教導の実績を挙げました。今は、林大学頭の筆になる「二賢堂」の額と「上尾郷二賢堂碑記」および「雲室上人生祠碑頌」の二石碑が残るだけです。
「上尾郷二賢堂碑記」は、碩茂のほか門弟一同が文政5(1822)年11月に二賢堂の沿革を後世に伝えようとして建立したものです。「雲室上人生祠碑頌」は文政6年4月に建立された雲室上人(うんしつしょうにん)生祠の碑です。
なお碩茂の没年は文政9年5月20日、63歳でした。墓は遍照院(上町)にあります。
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上尾市史
第九巻別編2 金石・文化財(平成11年3月31日)