鈴木荘丹俳諧歌碑
上尾市文化財紹介(有形文化財:歴史資料)
(ふりがな) すずきそうたんはいかいかひ
【文化財名】 鈴木荘丹俳諧歌碑
【指定番号】 第76号
【種別】 有形文化財・歴史資料
【員数】 1基
【指定年月日】 平成12年3月28日
【所在地】 馬蹄寺
【概要】
鈴木荘丹俳諧歌碑は、馬蹄寺の本堂の前にあるモクコク(県指定天然記念物)の樹下に建っています。荘丹が文化11年(1814)に建立したものです。碑は自然石の上に立ち、高さ49.4cm(総高81.9cm)、幅22.7cm、奥行き17.9cmの角柱である。正面に歌が一首、右側面に紀年銘がそれぞれ刻まれています(縦書き)。
歌/安心(あんじん) 俳諧の奥ハ 楽し支(き)道奈れ登(と) 踏(ふみ)堂(た)可(が)へ帝(て)者(は) 到ら連ぬ奈(な)里(り) 八十三叟 菜中場・l
紀年銘/文化十一年戌九月
歌の意味は「俳諧に遊び、楽しむ事も、衣食住をないがしろにしてはいけない」ということです。荘丹の俳諧歌の信条は「安心」と「老后の楽」であり、この歌碑は前者、つまり生活の安定の上に俳諧を楽しむという門人達への伝言です。この歌は、寛政11(1801)年に荘丹の門人達が荘丹のために編んだ『与野八景』(仮名)にすでに載っています(前書きは異なる)。荘丹は、享保17(1732)年、江戸の商家に生まれ、名は伊良俳号は荘丹・菜窓・荘郎・能静・石菖などです。荘丹は、門人2,000人に及んだといわれる雪中庵三世・大島蓼太の門人で、蓼太の高弟で和漢に通じ、蓼太も一目置くほどの人物でした。寛政年間(1789から1801)初頭に与野へ移り住み、定住してからは川田谷(桶川市)との間を往復する事が多くなり、中間地点の平方でも門人が多くいて、滞在する事も多くありました。いわば、平方は荘丹にとって俳諧活動の拠点の一つでした。荘丹は、この歌碑を建てた翌年、文化12(1815)年に平方で没し、門人達により与野の妙行寺に葬られました。
自ら建てたと考えられるこの歌碑は、荘丹が平方で活発に作歌活動を行っていたことを示すものです。また、俳諧歌の内容も、強く持っていた荘丹の信条「安心」を表しており、上尾の文化を考える資料として貴重でなものです。