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瓦葺懸渡井官費営繕之真景図 

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年3月9日更新 ページID:0290804

上尾市文化財紹介(有形文化財:歴史資料)

(ふりがな)   かわらぶきかけどいかんぴえいぜんのしんけいず 
【文化財名】  瓦葺懸渡井官費営繕之真景図
【指定番号】  第62号
【種別】     有形文化財・歴史資料
【員数】     1点
【指定年月日】 昭和61年3月31日
【所在地】    上尾市教育委員会
【概要】   
この図には「見沼代用水路武陽足立郡上瓦葺村地内懸渡井官費営繕之真景図 王欽古」とあり、幕末から明治にかけて活躍した画家である王(加藤)欽古(1830-1905)によって描かれたと考えられます。
画面は縦86.8cm幅146.0cmで図柄は構図、色調ともに当時の様子が詳細に描かれています。また、ほぼ同一の図が埼玉県立歴史と民俗の博物館に所蔵されています。
画面中央の標柱に「明治五壬申年三月」と銘文が見られることから、描かれた時期が明治5(1872)年以降であることは明らかです。いずれにしても「瓦葺懸渡井官費営繕之真景図」は産業遺構を知る上で貴重な資料といえます。
江戸幕府が編さんした『新編武蔵風土記稿』に、上瓦葺村の北方埼玉郡の境を流れる川幅十間の中間に掛樋を造り下蓮田村より見沼代用水を引き入れ東西の二派に分かれ、郡内西南と東北の水田に用水として使用することになった―とあります。
「瓦葺懸渡井」は、享保13(1728)年に見沼代用水が開削され太時に綾瀬川との交差点に設けられたものです。後に享保15(1730)年の大風雨による洪水で壊れ、宝暦6(1756)年に架替が行われ、明和4(1767)年に東西両縁の用水引分口に打切抗が設けられました。
寛政3(1791)年には関東大風雨による綾瀬川の溢水のため掛樋が浮き上がり、天保7(1836)年に打切抗に変わる堰枠に改造され、後に元の打切抗にして何度か改造を繰り返し、昭和6(1931)年の見沼通舟廃止まで、200年に及ぶ歴史が残されています。

市刊行物のご案内

上尾市文化財調査報告
第18集瓦葺書掛樋跡(昭和59年3月31日)
上尾市史
第九巻別編2 金石・文化財(平成11年3月31日)

瓦葺懸渡井官費営繕之真景図

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