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上尾の寺社 25 放光院(上尾下) 

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年3月1日更新 ページID:0094035

将軍に仕えた旗本・松下氏ゆかりの供養塔を伝える

 「ぐるっとくん」を「陣屋」で下車し、住宅地の中を西方へ60から70メートルも歩くと、信号のある交差点に差し掛かる。さらに50メートルも歩くと、左手に目指す放光院(ほうこういん)の案内板が目に入る。案内板は広い境内地の東北端にあるので、山門に達するには200メートルも南へ迂回(うかい)しなければならない。山門前には老桜(ろうおう)と2基の大きな地蔵尊があり、かわいらしい小さな6地蔵尊が左右に並んで参詣者を迎えてくれる。
 放光院は新義真言宗の寺院で、安養山と号し、開山の教養(きょうよう)上人(しょうにん)は慶長19(1614)年に没しているので、江戸時代初めの草創ということになる(『新編武蔵風土記稿』)。『寺院・堂庵明細帳』では元禄13(1700)年開基と記されているが、放光院を菩提寺(ぼだいじ)にしている旗本松下氏の初代房利(ふさとし)は延宝4(1676)年8月に没し、この寺院に葬られている。松下房利は通称彦兵衛(ひこべえ)、御小姓(おこしょう)組の番士(ばんし)で、寛永10(1633)年2月に上尾下村・門前村(部分)・須カ谷村(部分)などで400石の領地を与えられている(『寛成重修諸家譜』)。松下氏が放光院を菩提寺にした年は不明であるが、所領の拝領年や初代房利の没年からみて、放光院の草創は元禄13年ではなく、江戸時代初期であったとみられる。
 本堂に進み参拝することになるが、本尊の木造宝冠阿弥陀座像は市指定の文化財である。江戸中期の作といわれ、像高46.7センチメートル、寄せ木造り、玉眼、上品(じょうぼん)上生(じょうしょう)の印相(いんぞう)である。密教的色彩の強い像といわれ、蓮台の下に密教法具である五鈷杵(ごこしょ)2本を組み合わせたものが置かれ、大変注目される(『上尾市史』第9巻、『上尾の指定文化財』)。
 本堂の手前左手に「松下豊前守(ぶぜんのかみ)房利の供養塔」があり、これも市指定の文化財になっている。先にも触れたように放光院は松下氏の菩提寺であり、房利ら歴代当主の墓があったが、明治になり墓は東京都の愛染院(あいぜんいん)(新宿区)に移されているので、現在では供養塔が唯一の松下氏ゆかりのものである。宝篋印塔(ほうきょういんとう)形のこの供養塔は、安永4(1775)年の房利百回忌に孫の蔵人(くろうど)統?(むねのり)が建立したものである。統?も祖父房利と同じ旗本で、供養塔建立時は小納戸(こなんど)役で将軍に近侍(きんじ)している。供養塔台座に「百回忌為供養建立」と刻まれており、「施主松下蔵人統?」の文字も読み取ることができる。上尾市域は旗本領は多いが、歴史遺跡は少ないだけに非常に貴重である(前掲書)。

放光院写真

山門前に並ぶ小さな六地蔵尊

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