上尾の寺社 23 相頓寺(五番町)
竹林に囲まれた静寂空間に数々の市指定文化財を伝える
「ぐるっとくん」を「仲町」で下車し、30メートルほど西へ歩くと、そこは原市の市街を貫く南北の大通りである。この大通りを300メートルも南下すると、右手に目指す相頓寺(そうとんじ)の山門が見えてくる。100メートルほど歩いて山門に達するが、この山門は鍾楼(しょうろう)門で、上尾市周辺では余り見かけない珍しい建造様式である。山門をくぐり本堂に参拝すると、多くの市指定文化財を伝える寺院は、竹林と大樹に囲まれた静寂空間の中にある。
相頓寺は浄土宗の寺院で、草創は永徳2(1382)年、円蓮社聖満良順が開山といわれている。「永徳」の年号は北朝年号で、南朝と北朝が激しく争っていた時代の創立である。本尊の阿弥陀如来は市指定の文化財であるが、観音・勢至(せいし)の両脇侍(きょうじ)を従えた寄せ木造りの立像(りゅうぞう)である。像高は93.5センチメートル、宋風の服制を示し、鎌倉時代後半から末期にかけての作と推定されている。万治3(1660)年に、京仏師(ぶっし)が修理したという墨書銘が残されている(『上尾市史』第9巻)。
本堂の南東に地蔵堂があるが、ここに安置されている相頓寺三仏も市の指定になっている。中尊は木造延命地蔵菩薩半跏(はんか)像、右に木造閻魔(えんま)王座像、左に木造奪衣婆(だつえば)座像が配されている。この大型の三仏は、元は廃寺になった地蔵院にあり、明治2(1869)年に移されたといわれる。地蔵菩薩の像内に、この地の領主西尾小左衛門尉(こざえもんのじょう)(西尾隠岐守吉次)が文禄5(1596)年3月24日に開眼したとの書き付けが残されていると、幕末期編さんの『新編武蔵風土記稿』にも記されている。像の作風やこの書き付けから、地蔵菩薩は桃山時代の作と見られるが、閻魔王や奪衣婆は江戸時代前期の作といわれている。なお、この地蔵堂には15点の絵馬が奉納されているが、これも市指定の文化財である。延宝8(1680)年銘の市内最古のものもあり、見るべきものの多い絵馬群である(前掲書)。
本堂の裏側に歴代住職の墓所があるが、その一角に「六字名号(ろくじみょうごう)板石塔婆(いたいしとうば)」が立っている。これも市指定の文化財であるが、「南無阿弥陀仏」と六字名号が大きく彫られ、紀年銘の永徳2(1382)年も下部に読みとることができる。寺伝によると、この文字は開山の良順上人の書といわれ、永徳2年は相頓寺草創の年でもある。市内には六字名号の板碑は10基あるが、この塔婆は寺院の草創年と結び付く大変珍しいものである(前掲書)。
珍しい建造様式の相頓寺山門