ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 教育委員会 > 上尾の寺社 22 愛宕神社(壱丁目) 

上尾の寺社 22 愛宕神社(壱丁目) 

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年3月1日更新 ページID:0094038

「麻疹が治る神社」で知られた名残を今に伝える

 「ぐるっとくん」を「壱丁目東」で下車し30メートルほどで右折し、細い道路を北上すると、付近は現在、国道上尾道路の工事中で、雑然とした広い道路予定地を左側に見ながら足を進める。500メートルほどで左右は住宅地になるが、なお200メートルも歩くと、左側に目指す愛宕神社の石造鳥居が見えてくる。住宅にはさまれた奥に、新造の銅版葺きの屋根の本殿が眺められる。整備された石畳の参道を通り参拝することになるが、かつての広大な社叢(しゃそう)はなく、上尾道路の工事で境内地は大幅に狭くなっている。
 江戸時代の壱丁目村の鎮守は氷川社で、愛宕神社は一部の村民持ちの神社として所在している。この時代の上尾市域の村々の鎮守は大半が氷川社で、愛宕社が鎮守になっているのは原市村だけである。愛宕社は原市村を含めて11カ村に鎮座しているが、10カ村の村々はすべて村持ちではなく、一部の村民持ちとなっている。
 ところが明治時代に神社の社格制度がとられると、壱丁目村では鎮守でない愛宕社を村社にしている。ほとんどの村が旧鎮守を村社にしているが、旧村民持ちの神社を村社にした村は自村内に鎮守がなかった場合が通例である。自村に鎮守があるのにほかの神社を村社にした例は大変珍しい。壱丁目村愛宕社は、麻疹(ましん=はしか)が治る神社として近郷でも知られており、村民の厚い崇敬心が村社の設定になったとみられる(『愛宕神社(壱丁目)調査報告書』)。
 愛宕神社の旧本殿は、神社建造物としては唯一の市指定文化財になっている。新装なった覆屋(ふくおく)からはその全体像を見ることができないが、赤く塗られた正面の一部は外から拝観できる。氏子たちの尽力で境内は整備され、旧本殿はそっくり新しい建物の中に納められている(『上尾の指定文化財』)。
 愛宕神社の本殿は江戸時代中期に建造されたものであるが、一間社(いっけんしゃ)の見世棚造りで、この付近ではあまり見られない建物である。見世棚は、身舎(みや)と前方の柱の間に棚のように床を張ったものであるが、正面に階段はなく、床の下は空間になっている。この見世棚の下の空間をくぐる習わしがあり、ここをくぐると麻疹も軽く済み、流行病を防ぐといわれている。愛宕神社は火防(ひぶせ)の神として知られているが、壱丁目の愛宕神社では麻疹が軽く済むということから、現在でも赤子の床下くぐりが盛んで、子ども連れの多くの参拝者でにぎわうといわれる(前掲書、『上尾市史』第9巻)。

愛宕神社

愛宕神社写真

建て替え工事が終了し、新しくなった愛宕神社本殿

施設マップはこちら

愛宕神社(旧本殿)へ