議第20号議案
空襲などによる民間戦争被害者を救済する「新たな援護法」の制定を求める意見書
戦後75年を迎えた8月15日にNHKスペシャル「忘れられた戦後補償」が放送された。放送の冒頭に足を黒く塗りつぶされた卒業写真が映し出される。安野輝子さん81歳は6歳の時に鹿児島県川内市で空襲に遭い、片足を失くす。「普通になりたい」「楽しいと思った事は一度もない」という安野さんの言葉から番組は始まる。
75年前の大戦で80万人を超える民間人が戦争の犠牲者となった。埼玉県においても終戦の前日の8月14日午後11時30分頃、アメリカ軍の空襲を受け266人が死亡した。市街地の3分の2が焼き尽くされ火災で行き場を失った人達が市内を流れる星川に身を投じ、星川付近は100人近くの焼死者が重なって悲惨の極みであったとの事であった。熊谷市では毎年8月16日の夜に灯篭流しを行っており、1975年8月16日にこの星川に北村西望作の「戦災慰霊の女神」像が建立された。
これまで軍人・軍属には60兆円以上の補償・援護が国からなされてきた。大将経験者の遺族には、一般兵士の6.5倍、現在の貨幣価値で年1,000万円前後が支給されてきた。
一方民間被害者には、救済・補償は全くなく放置されてきた。超党派「民間空襲被害者の補償問題を考える議員連盟」会長の河村建夫元内閣官房長官は、戦争を経験した我々世代の手で「戦後」を終わらせ、次の世代に恒久平和の実現を託すことが、私の政治家の責務だと考えていますと述べている。同じ敗戦国であるドイツは敗戦5年後に連邦援護法を制定し120万人の民間戦争被害者と領土を失ってドイツに帰国した1,200万人以上の人達に対して軍人・軍属と分け隔てなく補償した。同じく敗戦国のイタリアでは、財政不安の中、1978年に戦争年金に関する法律を制定し15万人の民間人に補償をしてきた。ドイツ・ボーフム大学のゴシュラー教授は「個人の被害に国が向き合うことは民主主義の基礎をなすものです。国家が引き起こした戦争で被害を受けた個人に補償することは国家と市民の間の約束です。第二次世界大戦は総力戦で軍人だけでなく、多くの民間人が戦闘に巻き込まれ亡くなりました。軍人と民間人の間に差があるとは考えられなかったのです。」と述べている。
民間被害者の戦争は今でも終わっていない。失われていく残された時間。国も私達もその責任から目を背けたまま75年目の夏が過ぎ去った。民間戦争被害者の残された時間は、多くはない。一刻も早い解決が必要である。
よって、国及び政府においては、民間戦争被害者を救済する「新たな援護法」を制定することを強く要請する。
以上、地方自治法第99条の規定に基づき意見書を提出する。
令和2年12月21日
上 尾 市 議 会
令和2年12月21日
提出者 上尾市議会議員 鈴木 茂
賛成者 上尾市議会議員 平田 通子
〃 〃 井上 茂