上尾の古い地名を歩こう40 ~上尾村・向原地区を歩く~
「ぐるっとくん」を「上尾警察署東」で下車し、少々南下して東西の大通りを左折する。この区域は区画整理された地域なので、古くからの道路の面影は全く見られないが、東上して上尾村・向原地区を目指してみる。左折してから四百五十メートルも東上すると、道は下りとなり芝川の「矢丈橋(やだけばし)」と出合う。この辺りの道路はかつては曲折があり、通称「七曲(ななまが)り」とも呼ばれていた。橋を渡り東上した地域が向原地区、左手の奥が上尾村小字吉田である。右手奥には埼玉学園が所在するが、この辺りから東方にかけては古くは上尾宿地番である。元文二(一七三七)年の『上尾宿書上』によると、上尾宿は新田(しんでん)を持っているが、この地域がその新田に当たるとみられる(『上尾市史第三巻』)。
矢丈橋からやや東北に向かう道路は、上尾宿から旧菖蒲町(現久喜市)へ通じる道の一つである。上尾宿から門前・南村を経て行く道もあるが、向原から伊奈町を通り菖蒲町に達する道も、江戸時代には盛んに利用されていたとみられる。矢丈橋から四百メートルも歩くと、道は緩いカーブとなり左折するが、五十メートルも進むと道は二つに分岐する。分岐点から左の細い道路を東北に向かい、五百五十メートルほど歩くと平塚団地入り口の変則五差路となる。この細い道路の住宅地の右手に、一基の庚申塔(こうしんとう)を見ることができる。これは明和六(一七六九)年向原・嘉田村講中(こうじゅう)の建立で、左側面には「右あげお道・左せうぶ道」の道案内が刻まれている。この庚申塔が示すように、江戸時代から「せうぶ道」として盛んに利用されてきた道であったとみられる(『上尾市地形図』)。
平塚団地入り口の交差点付近は、工業団地、住宅地、商店、倉庫群が密集しており、かつて広大な山林地帯であった面影は希薄になっている。現在この交差点には西南方向からの広い道路も交差しており、この道路は芝川の「本町橋」を渡り、東中学校前・上尾市消防本部北側を通る新しい道である。この道路の本町橋を渡ってからの地域が、上尾村小字吉田で、上尾村の東北端に位置し、旧菅谷・上平塚村に接している。この交差点から北方の上平塚村を経て菖蒲町に達する道もこの交差点が分岐点であるが、現在では広い道路が東方へ造成され、原市・菖蒲間道路に達している(前掲書)。
(元埼玉県立博物館長・黒須茂)