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上尾の古い地名を歩こう35 ~市場町を結ぶ道を歩く(原市・下平塚)~  

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年6月28日更新 ページID:0043424

 「ぐるっとくん」を原市の「上新町(上新町)」で下車し、三十メートルも北上すると、通称「原市新道」の曲がり角が左に見える。その道角に天保十一(一八四〇)年建立の庚申塔(こうしんとう)がある。塔に刻まれた道標は松山・上尾・桶川への距離が、市場町原市の北方への基点はこの地点である。原市大通りを南下した道が、国道16号と交わる地点にある庚申塔では、菖蒲(しょうぶ)・騎西(きさい)道と刻まれており、古くは原位置から北方への道路は「菖蒲道」とも称されている(『上尾市史調査概報十一号』)。

 旧原市町は脇往還(わきおうかん)に発達した「市場町」で、交易のため近在の村々から多くの人々が集まり、月六回の「三・八(さん・ぱち)」の市が開かれた在郷町でもある。その点主要街道に立地し、宿場である上尾宿・桶川宿などとはまちの性格が異なっている。似たような在郷町に「二・七(に・しち)」の市が開かれている旧菖蒲町(現久喜市)がある。両者は脇往還でつながっているが、その道は原市方面から見れば「菖蒲道」、菖蒲方面から見れば「原市道」である(『新編武蔵国風土記稿』)。

 原市新道から四約五十メートルも北上すると、県立がんセンター入り口の交差点である。交差点を渡り少々北へ進むと、左方に斜めにそれる細い道が見える。この道は旧道で、現在の県道とはS字状に交差している。旧道を歩き現在の県道に戻るが、するとまた左方にそれる細い道路を目することになる。分かれ道に庚申塔があり、天明五(一七八五)年建立で、ここには「せいぶ(菖蒲)道・こうのす(鴻巣)道」の標示がある(前掲書)

 庚申塔の所在するこの辺りは旧下平塚村で、江戸時代には岩槻藩領から旗本戸田氏領と支配が変遷した村である。この村の名主神田家に残されていた古文書は、現在市教育委員会に保存されているが、市の文化財にもなっている。この古文書の中に岩槻藩が出した寛永四(一六二七)年の貢割付状があり、これを見ると既にこのころ下平塚村は独立した村であったことがうかがわれる(『上尾の指定文化財』)。

 庚申塔のある地点から四百メートルも北上すると、県道上尾蓮田線との交差点となる。この東西の道は明治初年の地図では上尾村二ツ宮氷川社の社前につながっており、通称は「幸手道」とも称されている。上尾宿と幸手宿(幸手市)を結ぶ道が、原市・菖蒲道と交差していたことになる(『迅速測図』、『上尾市史調査概報』)。
(元埼玉県立博物館長・黒須茂)

道標示がある下平塚の庚申塔 「原市新道」の曲がり角にある庚申塔 上尾の古い地名を歩こう35地図