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■上尾の寺社 10 橘神社(平方)

樹齢800年のケヤキに見守られ平方河岸の繁栄をしのぶ

 「ぐるっとくん」を「平方神社前」で下車すると、北方100メートル先に石造の大鳥居が見える。ケヤキやクスノキの樹林に囲まれているのが橘(たちばな)神社で、これは植物名を冠した、近隣でも余り見られない珍しい神社名である。
 橘神社のある境内地は、元は平方村の鎮守である氷川神社の所在地である。江戸時代の上尾市域の村々では、鎮守は大半が氷川神社であるが、平方村も同様ということになる。
 明治期に神社の社格の制定や合祀(ごうし)が行われるが、明治22(1889)年成立の新平方村でも、村社一社への合祀運動が展開されている。この合祀運動の中で、それまで五大字(あざ)に所在した氷川社・神明(しんめい)社・稲荷社などが一社となり、旧平方村の氷川社の地に橘神社が成立している。神社名は、この地で古くから称されていた「橘の里」から付されたもので、明治41(1908)年5月に認可されている。戦後、村社の社格は廃され、合祀した神社は解体されるが、橘神社の社名はそのまま残されることになる。平方地区の人々が、「橘」という名称によほど愛着を持っていた結果ということになろうか(『上尾市史』第9巻・『上尾百年史』)。
 この神社境内には、平方村民と河岸(かし)出入りの商人たちが奉納した石祠(せきし)が祭られていることでも知られている。かつて平方村は荒川・入間川の舟運(しゅううん)で栄えた集落で、江戸時代初期の寛文9(1669)年には、河岸場が設置されていたという記録も残されている。河岸場は船が発着する所というだけでなく、荷物の輸送を扱う河岸問屋が所在して初めて成立するが、平方村にも河岸問屋が置かれていたことになる。延宝8(1680)年、川越城主松平信輝は入間川の流路を替え、それまで下老袋(しもおいぶくろ)村(川越市)地先で荒川に合流していたものを直流化し、平方村地先で荒川に合流させている。この結果、平方村は荒川・入間川の合流点となり、二つの川の船の発着でにぎわうことになる。平方村民と河岸出入り商人の石祠は、往時の平方河岸繁栄の証ということになろうか(『新編武蔵風土記稿』・『川越市史第3巻近世編』)。
 境内の大ケヤキは、市の指定文化財になっている。御神木(ごしんぼく)で主枝の一部が昭和54(1979)年の台風で折れたため切断されているが、樹齢800年と推定される古木である。なお、本殿前に石造の御神灯(ごしんとう)があるが、これは安政4(1857)年の建立で、伊勢太々(だいだい)講中の寄進となっている(『上尾の指定文化財』)。

橘神社写真

橘神社の石造りの大鳥居

橘神社地図


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