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■上尾の古い地名を歩こう48 〜原市大通りを歩く〜  

  「ぐるっとくん」を原市の上新町(かみしんまち)で下車し、かつて「三・八」の市で栄えた原市大通りを南下する。バス停名は「上新町」と称されているが、近世期の原市が「上新町、上町、中町、下町、下新町」の五町構成であったことの名残である。幕末期の原市の石高(こくだか)は一千七十六石余り、市域の宿村では最高で、上尾宿が六百十九石余りなので、原市は一・七四倍ほどの大きさになる。近世末期の家数は二百三十五軒、上尾宿は百七十軒なので、これまた市域の宿村では最も多い家数である(『上尾市史第三巻』・『新編武蔵風土記稿』)。

 ところで明治三十五(一九〇二)年に刊行された『埼玉県営業便覧』は、県内の各町の商店の所在を示した好資料であるが、同時に幕末期の商業状況を推察することのできる貴重な資料でもある。今ここで原市・上尾町の項を見ると、当時の同町の商店所在状況が、実に明確に眼前に現われてくる。原市町には木綿・白木綿商が五軒、酒造業が三軒、機織物業が二軒、人力車業が四軒あるが、上尾町には全くない。木綿商人が多かったことは、周辺地域が綿作地帯であったことを示すが、木綿を扱う大店(おおだな)が所在したことを暗示している。人力車業者が四軒もあったことは、原市町が脇往還(わきおうかん)ながらも交通の要衝であったことを示している。乾物屋、魚商は原市には七軒もあるが、上尾町は一軒のみで、原市が市場町として栄えた名残をとどめている。上尾町は明治十六(一八八三)年に鉄道の駅が開設され、鉄道関連の業者も所在するが、めぼしい状況は料理・飲食店が十六軒と多いくらいである。上尾には原市にない銀行、製糸工場、本屋があるが、どういうわけか氷屋が三軒もある。当時「氷」は山間の製氷所より運んでいたので、これも駅の開設と関係するのかも知れない。

 近世期の原市町では「三・八」の市が開かれたため、どの家も道路に面して広い前庭を持っていた。現在道路も拡張されて前庭も狭くなっているが、それでも原市大通りを歩くと、各所にその名残を見ることができる。土蔵作りや大店の遺構を持った家も、原市大通りを南下すると各所に見られ、ここがかつて「市場町」であったことを実感させてくれる。上町、中町などの古い町場の構成は、大通りを歩くだけではわかりにくいが、古い石碑の中にも町名が刻まれていることもあり、これらを訪ねるのも、原市大通りを歩く楽しみということになろうか(『上尾百年史』・『埼玉県営業便覧』)。

(元埼玉県立博物館長・黒須茂)

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