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■上尾の古い地名を歩こう45 〜地頭方地区を縦断する〜  

 「ぐるっとくん」を恵和園で下車し、同園に沿った細い道を荒川に向かって南下する。恵和園周辺は標高十七メートル程であるが、荒川河岸は約十メートルなので標高差のある道となる。恵和園の敷地の南端を右折すると、もうそこは河川敷で、右折して百メートルも歩き、左折して百五十メートル程歩くと荒川の川べりに到着する。現在、荒川対岸に上尾市分の土地があるが、これは明治四十三(一九一〇)年大洪水後の河川改修により、流路が変わったためである。改修以前は領家地内から広大な河川敷が地続きであり、ことしの『広報あげお』5月号でも紹介したように肥沃(ひよく)な「やどろ」の供給地であった。この河川敷の小字は「宮下」である(『荒川―人文2』・『迅速測図』)。

 荒川縁を百五十メートルも北上すると、江川の荒川への流入口となる。この川は今は宮下堤の樋管(ひかん)から、約二百メートルの長さで荒川に流入している。ところが明治初期の地図を見ると、江川は宮下樋管から河川敷を九百五十メートルも南下し、蛇行して東流している荒川に流入している。荒川は対岸の現川島町寄りを蛇行して流下し、宮下樋管から七百メートルから1キロメートルも西方である。そのため領家村側に広大な河川敷があり、ここで「やどろ」の採掘も行なわれている(前掲書)。

 領家村と旧樋詰(ひのつめ)村(桶川市)間に建築されているのが宮下堤で、明治初年の資料によると長さ九十九間(約百七十八メートル)、堤防の上面の馬踏(ばふみ)九尺(二・七メートル)、堤敷(つつみしき)(堤防底面)は十三〜十九間(約二十三〜三十四メートル)である。現在の堤防からみると、大変小さく貧弱である。堤防の下面に水門があり、これが江川の荒川への吐き出口である。長さ一間・幅二間で、これも小規模である。荒川の大宮台地沿いの堤防は、宮下堤のように溺れ谷の流出口に設けられている例が多い。これは荒川からの洪水時の逆流を防ぐ役割を持つが、現在に比していずれも小規模堤防である(『武蔵国群村誌』)。

 宮下堤から江川流域の眺望は、河川の蛇行もあり少々難しいが、反対側の荒川への眺望は見事である。現在、堤防上は「県央ふれあいんぐロード」として整備され、約八百メートルを快適に歩くことができる。到達点は桶川市川田谷であるが、江戸時代には上尾市領家・畔吉などと同じく「石戸領」であり、関連の深い史跡も多い(『新編武蔵風土記稿』)。

(元埼玉県立博物館長・黒須茂)

社殿の前に立つ大きな“狛犬さん”上尾の古い地名を歩こう46地図



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